日本最古の鋳鉄橋を発見!
神子畑鋳鉄橋の特徴
日本最古の鋳物で出来た橋、神子畑鋳鉄橋の保存状態は抜群です。
廃墟マニアにオススメの歴史を感じる貴重な遺構です。
鉱石運搬のために建設された橋で、今でも美しい景観を楽しめます。
神子畑選鉱場から産出した鉱石を搬出するために造られ日本最古の鋳造橋思っていたよりこじんまりとしていたが頑丈で力強さを感じる鉄製なのに戦時中に供出されなかったということはとても重要な橋だったのだろう。
2025/6/7 銀の馬車道・鉱石の道の旅にて、初めて訪問しました。神子畑の鉱石を生野に運ぶ為の鋳鉄橋だったそうです。【立地】312号線を朝来ICの方に曲がり、神子畑選鉱所の方に細めの山道を上がって行くとあります。【駐車場】橋の手前に4台分あります。駐車場の前に当時使われていたトロッコが展示されていて、説明の音声が流れています。駐車場の斜め前には川岸に降りられる道があり、橋を側面から見れるようになってます。日本最古の鋳鉄橋らしく、ずっしりとした渋さというか色気を感じます…やっぱり明治時代とかのレトロなデザインの方がかっこいいです…橋を渡ると扉付きの遊歩道がありましたが、草ボーボーなので行きませんでしたwこの辺りは日本の誇れる産業遺構を大切に保存しているので、これからも永く遺していって欲しいと思いました!
全部が鋳鉄で作られた橋の中で日本最古のものです。解体・修理して復元されたそうです。川幅は狭いので橋も小さく、華奢な欄干が可愛らしいですが、上路は馬車や牛車が通れるくらい広さがあってしっかりしています。知る人ぞ知る橋でもっとひっそりとしているかと思ったら、大々的にプロデュースされていて、見学者も数人いました。
日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の関連施設で、日本で3番目に古い鋳鉄橋が「神子畑(みこばた)鋳鉄橋」です。明治18年(1885年)竣工の鋳物で作られた鉄橋で、昭和54年に解体補修されて、当時のように復元されたものだそうです。この鉄橋は、神子畑鉱山から鉱石を積んだトロッコを馬車で曳いて運んだ馬車道のもので、2024年夏の訪問時に、橋の先に遊歩道を整備中でした。橋のたもとに数台ぶんの駐車場、東屋、解説板、トロッコなどがあり、資料的にも充実した展示場となっていました。
鋳鉄(鋳物製)なのに予想外に錆びてないのは不思議な感じがする。インドのアショカピラー見たいに錆びずに何百年も有ったら凄いけどね⁉️フランス人の技術指導が有ったとはいえど、明治時代の技術者はチャレンジャー精神に溢れていたんやろうね。完全な鋳鉄製の橋はこちらと、羽淵鋳鉄橋の2ヶ所のみらしい。最古の鉄製の橋は大阪の心斎橋の橋だが、こちらは練鉄製との事鋳鉄製としては日本最古の橋だそうです。
道路の脇にあり、数台ですが駐車スペースもあります。日本に現存している全鋳鉄製の橋としては最も古い橋で大変貴重なものだそうです。説明文を読まないと気がつきませんでした。
神子畑鋳鉄橋は日本最古の全部鋳物で出来た橋です。その昔鉱石を馬車やトロッコで運んで居ました。車は通れませんが歩いて渡れます。この橋に続く山の根の道も鉱石の道の名残です。国の重要文化財になっています!
羽渕鋳鉄橋と共に日本にもう一つ残る全鋳鉄橋、神子畑鋳鉄橋。こちらの神子畑鋳鉄橋が最古の全鋳鉄橋で国指定重要文化財。
鋳物は強いですね。当時は馬車輸送がメインだったそうですが鉄板では無くて木材が引き詰められていたのでしょう?そんな時代に活躍した橋が錆びづに残っているのですから。
| 名前 |
神子畑鋳鉄橋 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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鉱石の道を構成する歴史遺産の一つ。日本の近代化を支えた遺産が今もしっかり保存されていて、周辺の歴史遺産を含めて見応えがありました。《解説看板》明治11年神子畑鉱山が再発見され、明治14年本格開坑以後、その鉱石運搬のために道路が必要となり、神子畑-生野間16.2Km、幅員3.6mの馬車道(鉱山道路)が建設され、多くの橋が架けられた。この工事は明治16年に始まり、明治18年まで2年間にわたる総工事費4万円をかけた大工事であったとされる。この馬車道が神子畑川を横切るときに架けられたのが神子畑鋳鉄橋である。また、工事すべての設計・施工はともに日本人となっているが、生野鉱山開発にあたったフランス人技師団の技術指導の結果によるところが大きい。神子畑-生野間の馬車道には、当時それぞれ構造の異なる5つの橋が架けられていたが、現存するものは、神子畑鋳鉄橋(橋長16mの一連アーチ橋)と羽渕鋳鉄橋(橋長18mの二連アーチ橋)の二つのみであり、ともに美しい洋式橋の姿を残している。神子畑鋳鉄橋は日本に現存する鉄橋としては三番目に古いとされるが、一番目の大阪の心斎橋(明治6年)は錬鉄製であり、二番目の東京の弾正橋(明治11年)は錬鋳混用である。したがって本鋳鉄橋は全鋳鉄製の橋としては日本最古の橋となる。特に、木橋、石橋から煉瓦へ、さらに鋳鉄、錬鉄、鋼鉄へと発展してきた材質からみた日本橋梁史の流れのなかで神子畑鋳鉄橋は、その過渡期的なものであり鋳鉄橋発展史上最終段階のものとしての意味からも歴史的に価値があり、力学的な美しさを持った大変貴重な文化財としての橋そのものである。昭和54年に国県の補助を受けての調査工事、昭和57年9月から昭和58年7月31日まで保存のための解体復元の大修理が行われた。