石垣と郭が魅力の山城跡。
小堤城山城跡の特徴
六角氏の家臣永原氏が築いた、歴史的な山城跡です。
石垣や郭の残存レベルが高く、見応えのある名所です。
琵琶湖を一望できる眺望があり、感動的な体験ができます。
六角氏の家臣永原氏の居城だが石垣が多用されている城の入り口の案内図に石垣の残存している場所が表示されているのでそれを見ながらまわるとよいこの手の山城にしては薮も少なくよく整備されていて見学しやすい城だった。
北側から登ったが登山口までに一ヶ所だけ迷いそうになったのが森楽校の矢印の所でまっすぐ登って正解だった。想像してたよりも楽に登れた。なだらかな坂ですぐに城跡なので曲輪を見ながら頂上に達した。ここは人気なのか何組かの人に会ったのが驚き。近くの山城では会ったことがなかった。岩場を下ったときは滑って大変でした。危険なのは岩場だけで、それも迂回ルートがあり虎口のある曲輪に出るので楽々でした。景色はいいし汗もほとんどかかないしハイキングには最適。主郭の石が大量にある庭園みたいなところと頂上の窪みは何なのかが少し気になりました。
突然現れる「石垣」と「堀切」ワクワクが止まらない山城です。
さほど険しい山城跡ではなく有名ではないが、石垣と郭の残存レベルが高い!されど所々崩落の箇所があり、何時まで残るかは疑問だ!
戦国時代のお城。天気がいい日だと山頂から琵琶湖や近江八幡方面がよく見えます。森林組合や地元の方々の手入れが行き届いているのでしょう。舗装も比較的されており、目印の杭も打たれてるので意外と迷子にはならないと思います。そんなに高くない山ですが、急勾配や尾根側の狭い巨石の間を通る等、なかなか登り降りは大変です。
築城年代は定かではないが永原氏によって築かれたと云われる。 この辺りは六角氏の被官馬淵氏の支配地で、永原氏は馬淵氏の家臣であったが、文亀年間(1501年〜1504年)の頃が次第に永原氏の勢力が増し、大永年間(1521年〜1528年)頃には六角氏の被官となっていた。
なんだここは、恐ろしく良い山城だね。所要時間時間は約90分みておきたいね。お城初心者や山城初心者にはちょっとキツイ、かも。登城口は平田機工さんの看板が目印、南下する一本道がある、すぐに「城山」という案内看板(立札)があるからわかりやすい。基本登まっすぐにずーっと進む。右手に説明板が見えてきたらそこが登城口。途上、みなさんの写真にもあるが門があり鍵がかかっておる。低い門なのでそれを越えなければならない事を付記しておく。途上は真ん中ぐらいまでは整備されているものの「尾根コース」「城跡コース」の分岐がある。「尾根コース」はなかなかしんどい。道も草ボーボーの道があったり、岩をロープで登る箇所あり、と。かつ遺構もほぼ無いので城跡探訪目的の方にはオススメしない。山頂は景観が良い珍しい城跡だ。ちなみに山頂が主郭部ではなく山頂から少し降った辺りが本丸跡推定地。広く平らな静かな空間。本丸跡の腰曲輪付近から石垣が現れてくる。芥川山城跡に似た感じで石垣がまだまだ少ないかなり初期の時期のモノと推定いたした。荒々しいワイルドな感じで雰囲気が良い。降る途上も石がゴロゴロしており、何かしら周山城跡ぽい雰囲気も個人的には感じた。堀切の遺構もあり、総じて曲輪もはっきりとしており石垣の残存度も高い、素晴らしい想定外の城跡だったなー。みんな、気をつけて、石垣やら曲輪を楽しんでいらっしゃいよ。長文にお付き合いありがとうございました、か?
この城趾は縄張り図見てわかるように、入り口から左右に曲輪がズラッと並ぶ壮大な風景の後、石垣が残り広がる主郭部分、そして山頂曲輪から琵琶湖まで見渡せる眺望、ほんとスゴイです。
なかなか行きにくいお城です。石垣はよく残っています。出郭と言われる場所の石垣がいいのですが、少し分かりにくいです。
名前 |
小堤城山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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歩きがいのある山城ひと運動に最適で個人的にはとても良い城跡。難点は入口、駐車場所などわかりにくい点。複数の箇所から登城が可能だと思う。尾根伝いに移動できる岩倉城経由で登城。途中なかなか難易度の高い箇所もあり。城山山頂から少し降りたところに主郭がある。城山山頂を挟んで多くの曲輪がある。主郭周りには石垣が残っている。城山山頂からの景色はとても綺麗で、北方向の琵琶湖、南方向の三上山を望むことができます。六角氏家臣の永原氏の城だと考えられている。