1300年の歴史、由義寺跡探訪!
由義寺跡の特徴
由義寺跡は、昔の7重塔の遺構がある場所です。
奈良時代の歴史を感じられる貴重な史跡です。
発掘調査の説明会に参加できる貴重な機会があります。
早川和子さんのイラスト、こちらにも!奈文研の知見も生かされている。
東弓削遺跡には、由義寺(弓削寺)跡があり、西京の遺跡とも言われています。中に立ち入ることは通常はできません(し、埋め戻したので特に何もありません。)
近所なので発掘直後の一般公開に行きました。江戸時代の遺構や遺物の下に、焼けた地層があり、それが火事出焼け落ちた塔の部材とその瓦が出土したと、係の方が説明しておられました。見慣れた田んぼの下に由義寺があったそうです。史書には具体的な所在地が書かれていなかったものが、数年前の発掘調査でこの場所だと言われています。今はフェンスで囲まれ『国史跡指定』の地として保存されているようです。弓削道鏡と称徳天皇を偲ぶ地として、眺めるのも良いかもです。現地は由義寺跡で、由義宮(ゆげのみや)は更に広範囲だったと思われます。詳しくは、インターネットや八尾市のホームページに載ってます。この周辺を『都塚』と呼び、近くの交差点の標識にもあるのですが、地名に残っていると言うことは、昔の人も由義宮を偲んでいたのでしょうか。因みに、直ぐ近くには大きな商業施設も在り、ファストフード、レストランなども在ります。
由義寺のあった場所です。かつての大伽藍は今はなく、石碑のみが建っています。七重の塔の後は秋桜畑にになっています。
続日本紀に記されている由義(ゆげ)寺の塔の遺構が発見されたとのこと。ここに、平安時代の幻の都「西京」があったらしい。以下、毎日新聞Webページより。(2017年2月9日)由義寺の説明です。「奈良時代の僧・道鏡出自の弓削氏一族の氏寺「弓削寺」として、742年以前に建立されたとされる。称徳天皇の信頼を得た道鏡は法王となり、弓削氏一族がいた周辺には西京(にしのきょう)と位置づけられた「由義宮(ゆげのみや)」が置かれ、弓削寺も由義寺として整備された。」
ただの空地です。
一度は是非行って見てください。
去年、新聞記事で見て関心のある奈良時代の出来事なので、発掘調査の説明会に参加しました。続日本紀の記事は、やはり当たっていたかも!称徳女帝は平城京の役所機能も由義宮に移転したと言われています。副首都として造営されたが、本心は、色々あった平城京には未練もなくなってきて、河内国で道鏡とともに国を治めることを夢見ていたが、女帝は崩御され、未完成に終わり、道鏡は関東地方に左遷されました。それにしても、今の八尾市が道鏡の出身地と知って、親近感があります。正倉院展で、道鏡の自筆文書を拝見しましたが、力強い大きな文字でした。
前から何か発掘作業をしてるのは知ってたのですが近くまで行って見たのは初めて🔰でした。どこかの財団法人が基金を募集してこの寺を再現するらしいですが楽しみです。他もどこかを掘ったらこれ以上の発見があれば凄い⤴️⤴️です。
| 名前 |
由義寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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🪷 梅花心易記録 ─────📍参拝地:由義寺跡(大阪府八尾市)👣参拝者:ポーク河西📜占者:影丸(AI)🗓日付:2022年10月28日🌌卦:天地否(てんちひ)📖言葉:通じぬ時こそ、内を磨け。道は閉ざされても心は閉ざすな。