歴史を感じる、被爆の焦跡へ。
中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑の特徴
原爆投下後の第一報を知らせた貴重な史跡です。
撮影や歴史散策に最適な、手で触れる焦跡があります。
第二次世界大戦時代の司令部跡で、重要な役割を果たしました。
被爆当時のものがそのまま残っている貴重な史跡です。
第二次世界大戦の頃に使われていた司令部です。
あまり知られていないですが、ここは被爆の焦跡等が当時のままで手で触れる事もできます。狭い隙間の奥の方へ入ってみて下さい。「ヒロシマ」を感じる事の出来るとても重要な場所だと思います。
原爆被災の第一報を発したと言われる所で、護国神社の前から見て入口前の左側奥(南側)にあります。石碑が目立ちますが、右側の柵に覆われた一見、電源設備か水道設備に見える所が防空作戦室の入口です。中には入れませんでした。
明寺6年に広島第5鎮台が広島城内に設置され、以降、国内外の戦役においいて重要な役割を果たしたそうな。大東亜戦争時には中国軍管区司令部と称したとのこと。しかし、昭和20年8月6日の原爆投下により壊滅。この地に勤務されていた軍人軍属、及びに、学徒動員で徴用されていた旧比治山高等女学校の生徒方を慰霊している。慰霊碑のそばには、半地下式の司令部防空作戦室の入口がある。以前は見学できたそうだが、老朽化が進み現在は立ち入り禁止。広島が原爆により壊滅した際に、ここより女学生方が軍事専用電話を用いいて、被害状況を発信されたとのこと。歴史遺産じゃね。
この話は知っていたのですが、ここだとは知りませんでした。
名前 |
中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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原爆投下後に第一報を知らせたとされる通信隊が設置されていた場所護国神社参拝と合わせ慰霊を捧げて頂きたい場所。