武州足立郡の庚申、願い叶うスポット!
西堀6丁目の庚申塔
延宝二甲寅年武州足立郡奉建立庚申諸願成就?
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記念碑と歴史を感じる。
渋沢栄一 来遊記念 論語碑
記念碑の前には、当時の写真と一緒に説明書きがあります。
歴史を感じる県指定旧跡。
高山繁文墓
県指定旧跡(昭和36年9月1日)
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道路元標らしく、旧松井村役場跡地にあります。
松井村道路元標
道路元標らしく、旧松井村役場跡地にあります。
浅羽野2号墳(稲荷塚古墳)
坂戸駅から下り列車に乗り大きな右カーブを曲がると左側に見えます。
徳川家康ゆかりの諏訪神社!
諏訪神社奉祀跡
徳川家康は関東の支配体制の整備に着手しました。
昭和50年台の住宅と浜松。
旧磯村建設事務所跡
浜松市内で「きさらぎニュータウン」を分譲したみたいですね(それは如月建設)
分譲途上で倒産した磯村建設の現地事務所跡。
畑の中の小さな宝物。
柏崎3号墳
大きな変化もなく残されているようです。
碑文この土地改良区は富士の雄姿が眺められ前面に豊か...
浦和西南土地改良記念碑
碑文この土地改良区は富士の雄姿が眺められ前面に豊かな田園がくり広がる地帯であった。
附川古墳の見物に来たらありました。
ノーベル賞 梶田隆章の顕彰碑
附川古墳の見物に来たらありました。
小さな公園で心和むひととき。
新開遺跡
普通の小さな公園です。
猿の顔が魅力ばずさま庚申塔。
庚申塔
「ばずさま」(馬頭観音様)と呼ばれているとの事、どちらが正しいのかはわかりませんが、私的には猿のお顔の様な…。
六番横堀は長流山円福寺のようです。
江戸川八十八ヶ所 第六番札所
六番横堀は長流山円福寺のようです。
天覚山の古道標を巡る。
馬頭観音・両峯山碑
かつて天覚山の肩にあった「両峯神社」参道方面への分岐を示す古道標。
大宮から川越に至る道にある歴史散策コースを案内した...
大宮川越町歴史散歩コース「旧川越町三橋二丁目」
大宮から川越に至る道にある歴史散策コースを案内した看板。
御嶽山の石碑が魅力のハイキング。
御嶽山大神碑
麓にも御嶽山の石碑が人家の前に立っている。
脇道の辻で出会う千手さん!
表慈恩寺 辻の道祖神さん
大通りから脇道へ入る辻の道祖神千手さん?
立派な庚申様に驚愕!
西中曽根の庚申塔
すごく立派な庚申さまで驚きました。
鎌倉街道上道(かみつみち)の分岐点。
旧鎌倉街道分岐
鎌倉街道上道(かみつみち)の分岐点。
熊野十二社神社の円墳探訪。
愛宕神社 熊野古墳
熊野十二社古墳 径26.5m円墳。
神社としては熊野十二社神社が主社として旧村社格。
ご住職の知恵を分かち合う場所。
松尾芭蕉句碑
ご住職にはいろいろ教えていただきました。
中山道の歴史、彦七右屋敷跡。
深谷一里塚跡
八百屋彦七右屋敷に一里塚の跡ありの古文書が残っているようです。
民家裏の隠れ家、塀越しの出会い。
稲荷塚古墳
民家裏敷地内、塀越しに見えました。
道標の十一面観世音、念仏堂で心癒す。
念仏堂道標
是より念佛堂二丁 本尊十一面観世音行基御作 同四国六十壱番とある道標。
苗間神明神社の燈明台で心温まるひとときを。
苗間神明神社の燈明台
苗間神明神社の本殿左側にある燈明台です。
県営かんがい排水事業の足元で。
県営灌漑排水事業竣工記念碑
「県営かんがい排水事業 九郷地区」という説明版が立っている、一角です。
八條用水沿いにひっそり。
土地改良記念碑
八條用水沿いにひっそり。
こんもり塚、古墳の謎解き。
帯刀27号墳
墓地の一番奥のこんもりした塚が古墳なのでしょうか。
馬頭観音のある静かな集落。
馬頭観音
ここに馬頭観音が祀られた頃はまだ集落 (民家が点々)で 目前の小学校(中野小学校)も 無かったかと思います。
三芳町の歴史を紡ぐ竹間沢。
竹間沢発祥地 本村
竹間沢は三芳町の中で最も早く開拓された村落です。
小ぶりだからこその魅力満載!
稲荷塚古墳(雷電塚2号墳)
1号より小ぶり。
高さ130センチの庚申塔、見応え抜群!
小室の青面金剛庚申塔
高さ130センチくらいの立派な庚申塔。
山奥の隠れた山城、遺構の歴史浸る。
両谷城跡
立派に遺構は残っています。
大正期に道路地図の作成を目的に各自治体に設置された...
大相模村道路元標
大正期に道路地図の作成を目的に各自治体に設置された基準点です。
碑文戸田市大字美女木字向田地域の農地は朝な夕なに秩...
向田土地改良 完成記念碑
碑文戸田市大字美女木字向田地域の農地は朝な夕なに秩父連山や富士の秀峰を望み水清く空は澄み渡るのどかな田園地帯であったがこの耕地に接する主要の...
新しい庚申塔と共に。
鈴谷8丁目の庚申塔
明治のものなので、比較的新しい庚申塔。
碑文古来氷川神社の南面に広がる田園地帯は西耕地と呼...
西耕地用水組合 30周年記念碑
碑文古来氷川神社の南面に広がる田園地帯は西耕地と呼称され荒川の出水におびえつつも常に用水不足の苦労を重ねてまいりました。
三富の歴史、味わい尽くす。
島田伴完寺子屋
入植する農民が富める様にと、上富・中富・下富の名をつけたそうで、三つを合わせ、三富(さんとみ)と呼ばれている。
江戸期の入間川に知られた「七堰」の一つとも伝わる「...
矢颪堰
江戸期の入間川に知られた「七堰」の一つとも伝わる「矢颪(やおろし)の堰」。
岐蘇路の一里塚を訪ねて。
浦和一里塚
宿の街並みが途切れた後に一里塚が描かれている。
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