稲葉地城跡で歴史探訪。
稲葉地城跡の特徴
なかむら区銘板を目指して訪れる価値のあるスポットです。
天文・天正年間に築城された歴史的な城です。
織田信長の叔父が関与した城跡としての重要性があります。
稲葉地城跡は、現在、城屋敷神明社になっていて、稲葉地城はこのあたりにあり、解説によると、「尾張志」によれば、東西四十間(約七十三メートル)南北五十六間(約一〇二メートル)の城館であった。城主は津田豊後守(織田信長の伯父に当たる人)であり、玄蕃允、興三郎、小平次と続いた。興三郎は永禄三年(一五六〇)の桶狭間の戦いで、小平次は天正十年(一五八二)の本能寺の変で戦死した。神明社の南西に位置する凌雲寺に、豊後守の法名を記した宝篋印塔があるそうですよ。
織田信長の叔父の城のあと。洪水でながされて、跡地のみ。
名古屋市中村区にある稲葉地城跡。現在は城屋敷神明社という神社になっています。稲葉地城は、織田信長の伯父に当たる津田豊後守が城主であった平城。古い石碑から新しい説明看板まで幾つもありますが、遺構は何もありません。城屋敷という地名のみ残っています。
神明社と言う神社。稲葉地城址の案内板と石碑があるが、城址の痕跡はない。織田信長の叔父織田信光の築城とのこと。
織田信長の伯父、織田信光藩主、稲葉地城跡、現在は神明社で立派な本殿が氏子に寄り建立されています、由緒書きが沢山有りますので歴史探訪愛好家には是非訪れて見て下さい、凌雲寺のすぐ北、新大正橋、庄内川左岸に有ります。
なかむら区銘板目当てで行ってきました。
現在は神社の境内です。
天文・天正年間(1532年~1591年)に織田信長の叔父の津田信光により築城されました。信長が幼少の頃、ここで手習いをしたと伝えられています。現在は神明社および凌雲寺になっており、遺構は残っていません。
| 名前 |
稲葉地城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
〒453-0058 愛知県名古屋市中村区城屋敷町4丁目10−1 |
周辺のオススメ
戦国時代に織田信長の叔父、織田(津田)信光が築城した稲葉地城跡です。初代城主信光以後4代にわたり稲葉地城を収めましたが、天正10年(1582年)信光の曾孫小藤次が、本能寺の変で信長と運命を共にし廃城になりました。城址は現在神社になっていて、案内板と石碑が建てられています。