薬師堂横の石碑に囲まれて。
芭蕉句碑 観音寺薬師堂
薬師堂の右側、石碑等が立ち並ぶ処にありました。
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石碑の語りかけ、心を結ぶ。
柳剛流祖岡田先生之碑
石碑と説明文が書かれた看板があります。
小川町の青石塔婆に出会おう。
大梅寺二連板石塔婆
小川町大梅寺の本堂に向かって左手にある双式(二連式)の青石塔婆です。
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小さなお堂の庚申塔と石仏に癒やしを。
庚申塔
小さなお堂に庚申塔と何かの石仏が祀られています。
コスモスとひまわりが彩る。
高窓の里(里山の桜・コスモス)
コスモスとひまわりのコラボを見てきました。
想像を超える巨樹が待つ!
真名板薬師堂の公孫樹
想像より素敵な巨樹でした。
東昌寺境内の古墳探訪。
白山古墳
東昌寺の境内にある古墳です。
聖徳皇太碑の歴史に触れる!
馬頭観世音・聖徳皇太子碑・改修の記
聖徳皇太碑には「文化十一」と刻まれていました。
大川戸 光厳寺の塔婆を見に来て!
源光寺の帰依仏塔
大川戸 光厳寺の帰依仏塔と同型の大きな板石塔婆です。
歴史を感じるひととき。
薗田家住宅
歴史を感じます。
加須市騎西の青石塔婆、圧倒的存在感。
仁治三年銘 阿弥陀種子板碑
加須市騎西の善能寺境内に立っている高さ約2.5mの大型の青石塔婆です。
美しい庚申塔が出迎え。
原市の文字庚申塔
道路に面してある大きく立派な庚申塔です。
江戸時代にこのあたりの新田を開発した川崎平右衛門の...
川崎平右衛門陣屋跡
江戸時代にこのあたりの新田を開発した川崎平右衛門の陣屋があった。
後光がさしています。
銅造薬師如来立像
後光がさしています。
馬頭観世音の、石碑も有るよ。
下南畑の地蔵尊・庚申塔・馬頭観音
馬頭観世音の、石碑も有るよ。
しゃぶしゃぶ木曽路上尾店の角に位置している庚申塔で...
日の出3丁目の庚申塔
しゃぶしゃぶ木曽路上尾店の角に位置している庚申塔です。
青面金剛庚申塔と共に、五輪塔の魅力を発見!
庚申塔(長浜)
半跏思惟像、分割された小さな五輪塔があります。
吉見観音 安楽寺の石垣で魅力発見。
西吉見村道路元標
吉見観音 安楽寺の石垣に組み込まれています。
厳かな境内で心を癒すひととき。
三嶋神社古墳
厳かな境内に鎮座しているのが素晴らしい。
明治天皇行在所跡で歴史巡幸。
明治天皇幸手行在所跡
行先が2か所以上になることを「巡幸」といいます。
吉見町薬師堂の青石塔婆。
観音寺板碑群
本堂左側にある池の奥 薬師堂脇の覆屋に大小13基の青石塔婆が祀られています。
煉瓦造の水門、歴史の息吹へ。
落合門樋
煉瓦造の水門です。
南側土塁で歴史散策!
斎藤氏館跡
特に南側は一段と高い。
俵薬師堂で感動の来迎阿弥陀像を!
図像板石塔婆
俵薬師堂の境内にある来迎阿弥陀一尊図像板碑を観てきました。
埼玉最古の石造アーチ橋、寺坂橋の魅力!
寺坂橋(登録有形文化財)
寺坂橋は石造アーチ橋で埼玉県では現在まで使われている橋としての石造アーチ橋は一番古い橋です。
母の味、再現された美味しさ!
時田足袋蔵
母がよく買ってきてくれて、美味しかったので来てみました。
鎌倉時代の中山氏館跡散策。
堂地遺跡
名称:堂地遺跡(中山氏館跡)分類:館跡城主:中山氏年代:鎌倉時代遺構:なし。
鎌倉時代の歴史を感じる、旧板石塔婆。
建治二年の板石塔婆
板石塔婆の中でもかなり旧いものです。
と思ったけど、うっすらとあと2本ずつ腕があるようだ...
浜崎の庚申塔
、、と思ったけど、うっすらとあと2本ずつ腕があるようだし、三猿が支えているからそうなのかな。
浦和市の歴史を感じる。
根岸土地区画整理竣工記念碑
住居環境と宅地事情はますます悪化するばかりであった。
天神社の庚申塔・石橋供養塔
左側面に「享保二十 乙卯・・・・」「十一月吉日 大谷領・・・・」とあります。
浄光寺の青石塔婆巡り。
浄光寺の板石塔婆(三基)
浄光寺の境内に年代の違う三基の青石塔婆が立っています。
道永八幡神社の青石塔婆。
青石塔婆 二基
鴻巣市のホームぺージでは、道永の板碑2基 と紹介されています。
歴史ある塔婆のそばで有機野菜を!
阿弥陀図像板石塔婆
とても古い…歴史を感じる塔婆向かいには有機野菜の無人直売所があります。
寄居町の天然記念物、威風堂々
姥宮神社の夫婦杉
威風堂々、樹齢何年だろう。
寄居町指定の天然記念物です。
心安らぐお墓参りのひととき。
金剛院宝篋印塔
お墓参りに行きました。
田んぼの中の癒しの神社。
玉井浅間神社古墳(彼岸花古墳)
田んぼの中の神社です。
福沢桃介の魅力、ここに!
電力王 福沢桃介 生誕の地
福沢桃介の説明が書かれています。
埼玉・白子城山の歴史を探る!
白子城跡
「白子城山」を所在地とし、現状は宅地・畑、台地で、遺構は堀と記している。
大正八年の歴史、松山町の起点。
松山道路元標
かつての松山町の起点であり終点の標識です。
この地は、武蔵の国比企郡松山町の中心部でした。
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