知られざる魅力、ここに!
十文字渡しのけやき
これは知りませんでした。
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平塚と府中を結ぶ街道で。
府中街道の道標
平塚と府中を結ぶ街道。
住宅地の隠れた史跡を探索。
口明塚
住宅地にある史跡です。
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マンションに挟まれた新スポット。
明治天皇本町行在所跡
周辺を含めマンションが立ち、2019年現在はそれらに挟まれた敷地となっています。
オリンピックのモニュメントで特別なひとときを。
TOKYO2020 モニュメント
オリンピックのモニュメント。
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津久井消防署過ぎたら小路へ!
寸沢嵐石器時代遺跡
津久井消防署を過ぎてすぐの40km速度標識のあたりの小路を左折。
駐車スペース無.小学生には理解できない「昭和27年のやさしい解説」
庚申塔と橋供養が彩る道標の魅力。
寒川橋際の庚申石橋供養塔
庚申塔と橋供養、道標も兼ねているようです。
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庚申堂で心温まるひととき。
北加瀬山崎町庚申堂
庚申堂。
大正三年の文字道祖神、心に響く出会い。
上組の道祖神
大正三年の文字道祖神。
文覚上人の歴史を感じる。
文覚上人屋敷址
“鎌倉殿の13人”で、怪僧ブリMAXの文覚上人。
源頼朝へ打倒平氏の挙兵を促したのが文覚上人と言われている。
平家の歴史を感じる場所。
盛久頸坐
盛久頸座(もりひさくびざ)平家の家人だった平盛久が処刑されそうになった場所。
由比ヶ浜で斬首されそうになった時、持っていた経巻から光を発し処刑人の目が眩んで刀を落としたことにより助かったと言われています。
素晴らしい富士山と記念碑。
日本初ロケット火薬実験の地の碑
天気次第ですが素晴らしい富士山が見られます。
リラックスできる場所です。
小田原の歴史感じる、山角定吉の魅力。
旧町名保存碑 山角町(やまかくちょう)
この町名がついたといわれている。
新田宿中組の文字道祖神。
中組の道祖神
新田宿中組の文字道祖神。
歴史を感じる井戸の跡。
切石敷井戸跡
井戸の跡です。
豊顕寺の境内で僧侶の歴史に触れる。
赤門(三澤檀林の門)
赤門。
豊顕寺の境内の一角にある、赤門。
800年の歴史を感じる、六重塔石碑。
阿仏尼のやぐら
系統の板額御前の様に第一線で強弓を発揮したりは例外で、生活面からの貴重な資料の筈ですが。
静かな雰囲気で、癒しのひととき。
鳩川隧道
こちらは2025年01月29日の訪問となります。
神聖なパワーを秘めた、ビランジュのバクチノキ。
早川のビランジュ
早川のビランジュ国指定天然記念物読み:はやかわのびらんじゅ樹齢:300年以上樹種:バクチノキ樹高:20m幹周:5.2m日本一のバクチノキGo...
かなりの物好きか旅行通🤓とは言え意外に見応えがあるので、オススメです。
稚児の墓
港中学校門で歴史を感じよう!
市立港中学校門柱 (旧花園橋親柱)
歴史を感じますが、現在は横浜市立港中学校の、門です。
登録有形文化財。
田圃の神様も感じる秋のひととき。
田端西町 地神塔
秋の社日も過ぎて、田圃の神様もお帰りになったでしょうか。
見応えある古墳の石室体験!
釜口古墳
コンパクトな古墳です。
やはりこちらの石室は見応えがあります!
双体道祖神のある石塔で特別なひととき。
境別所水無窪の道祖神
石塔が二基並んでおり、左に双体道祖神。
浦之郷陣屋跡地
こちらは2024年11月08日の訪問となります。
町と城内を繋ぐ橋、その名の由来。
旧町名保存碑 欄干橋町(らんかんばしちょう)
この名がついたといわれる。
穴場発見!
第ニ下溝架道橋
鳩川と県道を繋げる道で、ずっと知らなかったので穴場でした!
歴史の息吹感じる防御陣地。
観音崎トーチカ跡
Googleマップで見ると歴史ある遺跡のようで興味深いです。
東京湾一帯に造られた防御陣地の1つ。
鎌倉まつり期間限定公開!
浄光明寺 五輪塔 (覚賢塔)
普段は非公開ですが、鎌倉まつりの期間中公開されます。
2025年、特別な訪問に。
勝坂の照葉樹林
こちらは2025年01月29日の訪問となります。
首塚転用の富士塚、未知の魅力!
富士塚
首塚転用の富士塚ははじめて見ました。
冷泉為相の宝篋印塔から、伊豆大島と鎌倉海岸を一望!
冷泉為相墓
浄光明寺の裏手から細い山道を7,8分ほど進むとたどり着けます。
冷泉為相は、藤原定家の孫です。
於玉坂
双体道祖神とともに、心が安らぐひとときを。
松本下ノ庭の道祖神・庚申塔
一番手前に双体道祖神、右に地神塔、左は馬頭観音ですかね。
道端の庚申塔、歴史が息づく!
茅山の庚申塔
綺麗に残されて整備されています。
2014年頃は結構重要なIngressポータルだった。
月待塔で心を癒す庚申講のひととき。
二十三夜供養塔
別名「月待塔」ともいわれ、庚申講という民間信仰の一つです。
供養するには良いかも。
巨福呂坂をたどる新体験。
石仏群(巨福呂坂)
現在では通行することは出来ない。
後醍醐皇女と護良親王の歴史。
用堂尼墓
後醍醐天皇の娘さんのお墓です東慶寺の住職をされておりました護良親王の菩提を弔うために仏門にはいったそうです。
用堂女王(用堂尼)は後醍醐天皇の皇女で大塔宮護良親王の姉。
江戸後期の武士邸宅の歴史を感じる。
旧町名保存碑 隅屋敷
江戸後期、文政年間には武士の邸宅があったとのことです。
小田原曽我村の貴重な逸話を体感。
長谷川文右ェ門氏架橋の石桁
これも貴重かつ素晴らしき逸話の証左。
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